夢を追うということ
おはこんばんにちわ!
実は趣味で10年も小説を書いている、みやびです(*´▽`)ノ
さて、前回のブログで弟の漫画家デビューを喜ばせていただきましたが、ここでちょっと夢を追うということについて、僕からお話させていただこうかなと。
隣人「前回もけっこう熱く語ってなかったか?」
アレとは少し路線が違う話だよ。
隣人「路線?」
まあ、前回は、夢を諦めるなとか、努力を続けろだとか、そういった言葉を言わせていただきました。
もちろんその言葉を覆す気はありませんし、それこそが夢を追うために必要なことです。それができれば大きな成果を手に入れることができると僕は思います。
ですが、「諦める必要性」のことも少しだけ、頭の中に入れておいてほしいな、と。そういう話を今回はしたいなと思っているんです。
隣人「言葉だけ聞くと矛盾してる気がするな。前回は諦めるなと言っておいて、今回は諦めることも必要ってか?」
そだよね。誤解を招かないように説明していくよ。
隣人「モヤモヤで終わらすなよ」
努力するよ。
諦める、という表現はいささか誤解を招きそうですね。言い換えると、「路線変更する」って感じですかね。
路線変更。すなわち、今自分が目指していることから少し視点をズラして他のことも視野に入れてみる、といった事も夢を追いかけて生きていく上では重要なんですよ。
なぜかって。
夢ってね、とてもキラキラした美しいものに見られがちですが、実は一歩足を踏み入れると断然、辛いことの方が多いんですよ。
言い換えれば、「リスク」ですね。
夢を追うことにはリスクがあるんです。生活的なリスク。経済的なリスク。精神的なリスク。
目指し始めた初期や、上手い具合にやれているときはそういったリスクをほとんど感じないんですが、誰しも難なく夢なんて掴めません。いつか必ず壁にぶち当たるし、成長が止まるときだってあります。
そのときに、それらのリスクが一気に襲ってくるんです。
このまま生きていけるのか。自分はこの道で合っているのか。周りの同年代と比べて自分がやっていることは正しいのか。
こういった不安が常に押し寄せてきます。そしてこの不安は、一度味わうと、いったん収まってもまたフとしたきっかけですぐ現れるんです。
そこに打ち勝つ力が無ければ弱っていくし、打ち勝つ力があれば飛躍するチャンスを掴めます。
夢を追うとは、常に自分自身を追い込む行為に等しいんです。
で、そんなことを繰り返すと、人は安定や無難を求めて夢を諦めるんですね。
隣人「なんだ、けっきょく自然消滅的に諦めるのか」
いいや、問題はここからなんだよ。
隣人「ん?」
あのですね、ここで諦められる人は、ある意味で凄い人なんです。
隣人「夢から逃げたのにか?」
逃げる、という解釈をしても間違ってはいませんが、逃げられた人というのはある意味で自主的な行動ができて、ある意味で自分の幸せを自分で掴められる能力に長けた人とも言えます。
危機管理能力があると言いますか、「これ以上やると毒だ」ということをちゃんと分かっているんですね。だから、辛いと思ったときに逃げる術を知っている。
夢を諦めてそこらの会社に就職したって幸せになれる人はたくさんいます。要は生き方の話ですから、「自分はこれでいい」と心の底から思えるのならばとても素敵な道ですね。
では逆に、それでも夢を追い続けることを選ぶ人がどうなっていくのか。
それは大きく二つの分けられると思います。
1、そのまま努力を重ね夢を掴む人。
2、乗っかった船から降りれず、大海原をさまよい続ける人。
『1』になれた人は言うまでもなく幸せですね。努力の結果成功を掴みとったわけですから、これまでの苦しみを肯定的に捉えることができるハズです。
しかし『2』の人は、かなり危険な状態になります。この人こそ、「諦める必要性」を理解しなければならない人物です。
自分はまだできる、まだやれる。そう信じて努力を積み重ねたが、何年何十年やっても芽が出ない。歳を取り、生活は向上せず、焦りだけが日々募っていきます。今さら引き返せないから、とにかく頑張るしかない。でも頑張るモチベーションも上がらない。自分は何をやっているのか。ああ、あのときこうしていれば、ああしていれば。そんな後悔さえ考えてしまいます。
それもそのはずですよ。
だってその人、もはや目標さえ見失っているんですから。
隣人「大海原、ってそういうことか」
知らない内に、その人は目指していた夢さえも純粋に見えなくなっているんです。
追いかけ始めの頃に抱いていた感情は濁ります。成功できるのか、と自分を疑いますし、成功してもその世界で生きていけるのか、と空想にさえ不安を覚える始末。
進路が無いまま船を漕ぎ、心は衰退していくばかりなんですよ。
それは、「諦めきれない人」が陥る負のスパイラルなんです。
諦めないこと、努力し続けることはとても大事で素敵なことですが、大前提にそれが「夢中になれるもの」「好きなこと」「やっていて苦じゃないこと」であることが必要なんですよ。
面倒くさい、嫌い、苦しい。この感情が出始めているとするなら、ストップです!
いったん手を休めて、しっかりと自分に向き合ってください。そして過去の自分と今の自分を比べて、変わった点を挙げていってください。
もし否定的な思考がいくつも出てくるのなら、もしかしたら、それはあなたの進むべき道ではないのかもしれません。
もしくは、叶えるべきタイミングが『今』ではない可能性もあります。
だとするならば、がむしゃらに船を漕いだっていつまでもゴールはありませんし、ゴールにたどり着く前にあなたは死んでしまいます。
夢を追っていたはずが、気付けば地獄についていた。こんな滑稽な話がありますか。
その夢が自分にとって毒だと思った瞬間に、逃げられるのならば逃げるべきです。一度逃げたって、諦めきれなければ違う道からまたリベンジすればいいだけの話じゃないですか。
逃げられなかったのなら、どんなタイミングでもいいから違う道を選択してみてください。
いいですか。何をやるにも年齢は関係ないと誰もが言います。それは本当の事。故に、いつ諦めたってそれも関係ない話ですよ。
「ここまで来て諦める」んじゃなくて、「ここまで来れた」と自分を褒めて肯定してください。
隣人「んー、言いたいことは何となく分かるんだが、苦しくても諦めずにやる、ってのが大事なんじゃねえか?」
根本的にはそうだね。
隣人「だったら、諦めるタイミングなんて無いじゃねえか」
そうだね。諦めちゃダメだ。
隣人「おい、けっきょくどっちが正しいんだよ」
どっちが、とかじゃないよ。
そういう「逃げ道」を自分の心の中に作ることが大切なんです。
ここまで読んで、もし「そっか、諦めることは悪いことじゃないんだ」と思った人がいたなら、その気持ちをしっかり胸にしまっておいてください。
そしてその気持ちを片隅に思いながら、全力で夢に向かって突き進んでください。
ほら、そうしたらとても苦しくて耐えられなくなった時、あなたが自分自身を救うカギになってくれます。
心の片隅に置いておいた「諦めることは悪いことじゃない」という気持ちが、スっと気持ちを軽くしてくれるはずです。
軽くなったら、また夢に向かって頑張れるんじゃないでしょうか?
いつ辞めてもいいという逃げ道があれば、人はものすごく頑張れるんですよ。
実は僕、苦しんだ人間なんですよ。
10年間夢を追い続けて、後半はとても苦しくてたまらなかったんです。でも諦めたらいけないという思考があって、負のスパイラルから抜け出せませんでした。
大海原でずーっと船を漕いでいたんですね。
でも転機が訪れて、夢をいったん脇に置けました。そうするとね、様々な世界が目の前にあったんですよね。僕が気づいていないだけで、自分の中にはたくさんの選択肢があって、やりたいことが湧き水のように出てきたんです。
今までひとつの事に集中していたせいで、すっかり視野が狭くなっていたんですよ。
目を背けてみると、世界がそのひとつだけじゃなかったんだって気付かされました。
それからの僕は、10年間目指した夢をいったんは放置してます。今はそれ以上にやりたいことが沢山あるので、そっちを頑張ってみようって思ってるんです。
これもひとつの諦めですよ。
そして諦めてみると、案外まったく別の方向性が定まったりもしますからね。
諦めたからといって他に何も残らないわけじゃないんですから。むしろ新しい自分を手に入れられます。
脱皮みたいな感じです。もしくは、サナギから出たチョウですね。
そんな可能性だってあるんです。
だから皆さん、夢を追うならとにかく楽しむこと。そして苦しいことを我慢しないこと。どうしても耐えられなくなったら自分の足で逃げること。
諦める勇気を持つこと。
それさえあれば、きっとあなたの人生はいつだって楽しくなりますよ!
隣人「なるほどなぁ。継続は力なりとは言うが、まずそこまでのエネルギーを注ぎ込めるかが重要なんだな」
そうそう。ただ頑張るだけは無理だよ。頑張る目的が無いとね。
隣人「夢を追うってのも難しい話だな」
だから、そういう人って単純に凄いよね。何年も一つのことに努力できる人ってなかなかいないから。
隣人「そう考えると、夢を持つやつは自分をもっと誇りに思うべきだな」
うん、その通り!
夢を追うということは、それだけでも素晴らしいことですよ!